陳舜臣『中国の歴史』を読んでます

書評

〜繰り返される王朝の興亡と現代日本〜

陳舜臣『中国の歴史』の文庫版全7巻を購入し、いま改めて読み進めています。
この本は1983年に刊行された単行本が実家にあり、高校生の頃に一度読んでいました。

当時の私は中学で吉川英治の『三国志』に夢中になり、その流れで『水滸伝』へ。
高校に入ると司馬遼太郎の『項羽と劉邦』にどっぷりと浸かり、
その勢いで親父の本棚にあった『中国の歴史』を手に取った・・・そんな記憶があります。


青春時代の読書と今の読み方の違い

高校生の頃の私は、好きな時代だけを拾い読みしていました。
つまり秦末、後漢末期、宋の時代――要するに「動乱の時代」だけを重点的に読んでいたわけです。中学高校の頃ってみんなそんなもんですよね。みんな大好き、戦国時代という具合です。

ところが今読み直してみると、
殷から周、春秋戦国、秦の統一と滅亡、漢楚の戦い……
どの時代にも同じ「興亡のリズム」があることに気づかされます。


再読のきっかけは現代中国への関心

なぜ今になって再び読み始めたのかと言えば、きっかけは、最近の中国情勢です。

かつて経産省出身の作家・堺屋太一氏が「中国の未来予測が驚くほど当たる」と言われたことがありました。その秘密は

「明代の歴史と当時(昭和40年代)の中国を重ねて語っただけ(本人談)」

つまり、中国の歴史は繰り返される。
そうした堺屋氏の発言を思い出し、「ではもう一度読んで見よう」と思った次第です。


滅びる王朝も“努力”していた

読み返して改めて思うのは、「滅びる王朝も意外と頑張っていた」ということです。
歴史は勝者が書くため、前王朝は「悪政」として描かれがちですが、
実際にはどの末期政権も最後まで改革を模索し、懸命に延命を図っていました。

どの王朝も「滅びる数代前に名君が現れ、改革と繁栄を築く → 数代後に破滅」という流れ。
例えば、殷王朝の末期を例に取れば、「酒池肉林」で有名な紂王の逸話があります。
しかし、こうした贅沢な宴はおそらく数代前の賢王の時代から続いていたものでしょう。
宮廷内では伝統の形式として維持され、
いつの間にか“変えることができない制度”になってしまった――そんな空気が漂ってきます。


派閥抗争と制度疲労――そして現代

さらに末期の特徴として、宮廷内の派閥争いが激化します。
どちらの派も国家を存続させるべく賢明に頑張っているのに、結果的に内向きの抗争に終始。

その姿を読みながら、思わず

「まさしく今の自民党じゃん……」

とも思ってしまいました。

歴史は結局のところ、外敵よってではなく、
内部の硬直化によって崩壊していく・・・。
そんな普遍のパターンを、陳舜臣の筆は静かに描き出しています。


歴史を「他人事」にしないために

結局のところ、中国史は“遠い昔”の話ではありません。
王朝の末期に現れる現象。
改革疲れ、制度の老化、内輪の論争、民意との断絶、
これらは、現代の日本にも少なからず重なります。

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